飼育野生動物栄養研究会設立の目的
野生生物絶滅への警鐘が鳴らされて久しい。しかし、依然としてレッドデータリストに掲載される動物種の数は減っておらず、毎年、新たな絶滅種の認定もなされている。種や地域個体群によって、存続の危機をもたらす要因は異なり、実情に応じた対策が急がれている。その一つとして、野生個体の一部を飼育下におき、増殖させる試みがある。一方、動物園で維持されている動物にも自然状態での存続が厳しい種が少なからず存在する。野生動物取引の規制対象種では、新たな個体を導入することができず、国内外の動物園で飼育されている個体を用いて増殖を図ることが必要になっている。現在、飼育動物の高齢化の進行に増殖が間に合わないという最悪の事態を回避するため、有効な手立てを講ずることがいくつかの種で喫緊の課題となっている。
飼育下繁殖に大きな影響を持つのは日常の飼養管理とされている。その根幹をなすのが栄養学とそれに基づいた餌食物の提供である。また、飼育野生動物のアニマルウェルフェアのための環境エンリッチメント技術にとっても餌食物の改善は主要な課題である。
欧米の主要な動物園では栄養管理・飼料設計業務を統括指導する動物園動物栄養士(Zoo Nutritionist)が置かれ、栄養科学に基づいた動物園動物の飼養管理が実施されている。例えば、当時英国で唯一のフルタイムの動物園動物栄養士は無脊椎動物を含む400種の動物の餌食物を9年間にわたって栄養学的に吟味し、チェスター動物園の全7000個体のための飼料レシピ本を2011年末に完成させている。また、比較栄養学会(Comparative Nutrition Society)などの国際的な学術団体の活動を通して、先行研究が少ない飼育動物や野生生物の栄養科学が進展し、その成果が動物園動物の飼料設計・給与に改善をもたらしている。さらに、アメリカ動物園水族館協会(AZA)の栄養専門部会(Nutrition Advisory Group)、あるいは、ヨーロッパ動物園水族館協会(EAZA)によって、出版物やホームページなど、種々の媒体を駆使した、栄養科学を軸とした教育普及活動が展開されている。これらの活動を通じて、動物園動物の飼養管理が改善され、個体の栄養状態が向上した。これにより、繁殖率の向上、繁殖供与期間の延長、健康寿命の拡大など、希少動物の増殖に好ましい効果がもたらされるものと考えられている。
一方、我が国の動物園に、飼育野生動物の栄養管理・飼料調製を統括する動物園動物栄養士は現時点で存在しない。各動物の担当者が長年にわたり蓄積してきた経験知や経験則に則って、飼料の調製・給与がなされており、園館間の情報共有の機会も不十分なことが多い。
最新の栄養科学の知見を動物園動物の飼養管理に反映させる潮流はアジアにも到来しており、アジア地域の先進的な動物園ではすでに栄養科学をベースにした飼養管理の改善に着手している。こうした中で、日本動物園水族館協会(JAZA)においても、最近栄養部会が立ち上げられた。欧米と少し異なる組織体制を持つ日本の動物園で動物園動物栄養士が活躍するまでにはしばらく時間が必要と思われるが、我が国の動物園でも栄養科学を基盤にした動物園動物の合理的飼養管理への移行は急務と考える。
そこで、私たちは無脊椎動物・脊椎動物を含む全ての飼育野生動物を対象に、栄養と餌食物に関心を持つ大学教員・研究者、動物園水族館職員、愛好家、学生、飼料会社・動物薬会社職員が集う研究会の設立を提案する。野生動物や飼育野生動物の比較栄養学、栄養生理学に関する研究発表・教育講演等の活動を通して、飼育野生動物の栄養に関する理解を深め、飼育個体の栄養状態を改善する実践により、動物の生活の質(QOL)とアニマルウェルフェアの向上に本会は貢献する。
設立発起人を代表して
牛田一成
中部大学創発学術院・京都府立大学名誉教授・Hindgut Club Japan元代表)
坂口英
(岡山大学名誉教授・草食実験動物研究会前会長)
間曽さちこ
(株・かなん主宰・元一財自然環境研究センター)
森田哲夫
(宮崎大学名誉教授・旧冬眠談話会世話人)